2020年1月17日金曜日

S、117

25年がたったのだという実感がない。
あの日、同僚や後輩の行方がまったくつかめず、現地に行くすべもなく、自分の無力を思い知らされた記憶。破壊された街、火災が広がる風景をニュースを見ながら何度も現地救援に行こうとしたが、多くの人にそれを止められた。今行かなくも、今ここから出来ることがあるだろうと。
自然の偉大さと美しさ、脅威と恐怖。
ある大国は、将来人の力で自然をコントロールできると発言しているが、それは叶わないだろうと思う。自然は人の頭脳とAIで考える想定を遙かに超え、人が自然の上に立つことは許されない。
10年前だろうか、市長との雑談でこう話した記憶がある。
「飯山は”克雪”と呼んで豪雪に対峙し、移住促進にも雪がデメリットだと意見されています。でも近い将来、この豪雪こそが世界有数の魅力になり、天然雪がお金にかわる時代になると思います。」
2020年、飯山に冬は来ていない。すでに1月中旬になっているが、庭先の積雪はほぼゼロ。低気圧がきても雪ではなく雨が降る。ウィンターアクティビティにも大きな影響を与え、春以降の生活水量も危惧されている。
特にスキー産業は深刻な問題になり、山から運べる雪すらない。外気温も高く、人工降雪機も期待できない。各地で予定されていたスキー大会は中止や開催地変更を余儀なくされ、全日本選手権ですら例外でない。前代未聞の事態が続いている。
自分も会場変更された選手権のコースづくりに向かった。スコップ1杯に1分かかってもコースに雪入れを行う作業。途方もない作業の繰り返し。初顔合わせのメンバーも話題は雪が降るように祈る話ばかり。選手たちも大切なトレーニング時間を犠牲にしても、一緒に雪を集めている。コース脇からできるだけ土や草などの異物を含まない雪を集め、ソリに数十キロの雪を積み上げて輓馬競争のようにそれを何度も何度も運ぶ。選手の保護者も連盟コーチ達も一緒になって、レース会場にいるだろう全員でコースを作る姿がそこにあった。
スキーができることは当たり前ではない。
雪が降ることに感謝しなければならない。
自然によってスポーツをさせてもらえている。
いつもの降雪があれば、この言葉はなかっただろう。
誰もが疑わない言葉にかわり、この厳しい状況に団結しよう、生活も見直そうという気運が広まっていけばいい。
できることから一つずつ。
今日も元気に滑る選手たちを見ながらそう強く思う。
















0 件のコメント:

コメントを投稿

登録 コメントの投稿 [Atom]

<< ホーム