O、Graduation ceremony
3月。飯山では春の訪れにワクワクし、溶けて行く雪に名残惜しむ季節。そして世の中は別れの季節でもある。
自分は遠征とビジネスの合間を縫いながら、卒業、卒園の場面に招待され、多くの挨拶をしなければならない立場にいる。
そんな中、ある飯山市内の小さな保育園の卒園式。来賓として、飯山市を代表しての挨拶が求められるときの出来事。
卒園式の小さな会場は、卒園児より多い来賓と正装の保護者らでぐるりと囲まれ、壇上には小さな11個の椅子が並んでいる。在園児はモジモジしながら黙って卒園児を待っていた。静かな音楽と共に卒園児が入場してくる。子供たちは皆、笑顔でいっぱいの入場行進。普段は見れない多くの人に囲まれて照れているような、主人公になって嬉しいような、元気な行進で壇上にあがった。
一人一人に園長から卒園証書が渡され、子供たちは小学校での目標とそれぞれの保護者へのお礼の一言を添えて証書を手渡す。子供たちは笑顔、親は涙。小さな保育園だからこそ、一家族ごとの丁寧な式典が進行していく。
次は自分の番。どんなに数多くの来賓祝辞を述べて来ても緊張はなくならない。会場の雰囲気で2つのパターンを用意しているが、この場での挨拶をイメージしながら、目の前の在園児の小さな足元を見て集中した。挨拶は卒園児へのおめでとうから。そして4月からの小学校のこと、保育園の思い出を忘れないで欲しいこと、辛いことや苦しいことも必ず力になっていくこと、を話していった。
その時のことだった。全ての語りの句読点に、子供たちは「はい!」と返事してくる。予想外だった。たった6年前に生まれたこの子供たちが一生懸命にオジサンの話を聞こうとしている。瞳は愛くるしく、皆キラキラしている。2歳、3歳の在園児も両手を膝に置いてこちらを見ている。これには参った。その真っ直ぐな目線に圧倒され、深く感動してしまう。続く祝辞が涙声のように震えていたようで、皆心配そうに自分の顔を覗き込んでくる。涙を堪えるのに相当のエネルギーを使うことになった。それはそうだろう、来賓が感動して泣いてしまうなんてことは先ずあり得ないだろうから。。
子供は宝。誰もが輝く原石。それは疑いようもない。
そして、大人の責任はとてつもなく大きいことをあらためて知る。彼らがどう育っていくのかを見守るのではない。大人が全力で次の世代にバトンを渡していくこと。それも常に進化したバトンでなければならない。
この子供たちに恥じない人間であるか。渡すバトンは磨き続けているのか。
清々しい卒園式に感謝。
全力で生きよう!そう強く思う3月。
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