2017年1月31日火曜日

R、シクロクロス世界選手権ルクセンブルグ

シクロクロス世界選手権ルクセンブルグ大会が終了。
結果、日本代表チームのエース、アンカー沢田選手はDNFリタイア。
スタート位置は、ジャパンチームの小阪選手、前田選手と同じくほぼ最後尾。前には70名以上の世界の強豪選手たちが並んでいた。号砲一発、ベルギーとオランダのジャージがスタート画面を覆い、ロードレースのような非常なハイスピードで、昨日までの凍結から融解したルーズマッドを駆け抜けて行く。
沢田選手は落ち着いてスタート。ラインミックスした場所での渋滞を回避してスタートループをこなし、本コースに入ってから積極的にポジションアップを繰り返し、1周回で30名以上をパスし、40番手まで上がることに成功。しかし、2周回目のピットを過ぎたキャンバーで落車。リアハンガーを破損し、リアディレーラーを失った。同時に膝を強打して歩行困難になり、やむなくリタイアを選択。
彼にとって、チームにとってDNFは最悪な結果。しかし、これがレース。
この大会には、ベルギーを拠点に活動する竹之内選手が不在。新日本チャンピオンの沢田選手を筆頭に9名の選手、6名のスタッフ、合計15名の代表選手団がルクセンブルグ大会に挑んだ。
ルクセンブルグの気温は北海道並みで体温がどんどん失われる寒さ。どのチームもキャンピングカーやバスを用い、シクロクロスならではの装備を持ち込んでいる。洗車機、ランドリー、エアコンプレッサー、暖房装置、コンロ、冷蔵庫・・・。車内で暮らす事が出来るレベルだ。
ジャパンチームも、Mr.ランジット、Mrマークと、10年来チームと協力関係にあるベルギー人をスタッフに加え、万全の体制を築いている。
もはや選手を支える機材や人脈は、規模は違えどトップチームに劣らないと言える。
しかし、完走はたった3名の非常に厳しい結果となった。
降雪、凍結、融解泥、工場の採石、3つのフライオーバー、激しいキャンバー。飯山に似たセクションはエキサイティングで欧州らしい3D。(飯山のコースに自信がついた)
気温も変化し、凍結から融解、ルーズマッドと刻々と路面が変わる、まるで生き物だ。
選手たちは最後まで納得のいく試走と対策が完了せず、コースに翻弄されたままスタートを迎えた。そう、明らかに準備不足。
個人の都合や考えがあるにせよ、ルクセンブルグに辿り着くまでに行うべき準備が出来ていなかったと言える。想定問題集があるのにやらない受験と一緒。
チームとして指示される成績目標も漠然とした希望値に過ぎない。その選手と海外選手のポテンシャルを具体的に比較した上で戦略があるべきだが、それがないためいくらミーティングしてもポジティブにならない。ワクワク楽しみにレースを迎えることが出来ない。ルクセンブルグは霧とブラックアイスが当たり前の国。
これでは世界に勝負出来る訳がない。
あらためて誓う。
ルクセンブルグからスタートしたい。
このままでは終われない。
日の丸を振ってくれたベルギーやルクセンブルグの人達の姿を決して忘れない。
トキサワダのコールと共に、またこの舞台に戻りたい。






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