W、Lepanto UCI-2 2DAYS
ギリシャの歴史的な古港Lepantoの城跡で開催されたUCI-C2の2連戦を終了。結果、平野選手がDAY1を5位、DAY2を4位と健闘し、UCIポイントの連続獲得に成功した。
沢田選手はケガの治療に専念するため、このレースはキャンセル。
このレースは2日間とも、ギリシャのトップ2である2選手、フランスの19歳ホープ、キプロスナショナルチャンピオン(以下NC)、そして平野選手の5名が実質的なポディウム争いを展開した。優勝はDAY1ギリシャNCのANTONIADIS、DAY2マラソン世界チャンピオンILIASと両日ともギリシャ選手が制した。
平野選手のDAY1は内臓変調とパンクに見舞われ思うように展開できなかったが、DAY2は体調も回復しハイリスクを回避しての堅実な走りをみせた。
ドイツでワールドカップが開催される同週末、ギリシャでは情熱のある主催者によって歴史的な遺跡での連戦が用意された。主催者からは、早い時期からチームにインビテーションがあり、ワールドカップではなくLepantoでの戦いを選択。アジア選手権セブ、八幡浜国際、そしてギリシャ2連戦と3週間で4レースをこなすのは選手のパフォーマンス、チーム体制を維持するだけでも大変だが、日本国内やアジア地域ではまず経験できない貴重な機会でもある。そして、日本人が本気でUCIを転戦する姿を応援したいとオルガナイザーも連盟も現地のジャーナリストもみな笑顔で迎えてくれた。これこそがUCIチームとしてTEAM BRIDGESTONE Cyclingが求めていくべき姿のひとつだと思う。
Lepantoはアテネから230㎞西にある。レンタカー会社の粋な計らいでアウディA3の新車が用意されていた。自分が知っているかつての荒れた道路は何処にもなく、日本に劣らない素晴らしく整備された高速道路網ができていた。当然移動はストレスなし。アジア選手権が遠く懐かしい思い出に感じてしまう程の快適さだ。
街は歴史の教科書に出てくるレパントの海戦で有名なリゾート地だが、街が小さくまとまっており、短期間の生活にも困ることはない。欧州では珍しく、公共水道もしっかり整備され、水道水は飲むことが可能。街の隅にもゴミ溜めはなく、暮らす人々も穏やかだ。ただ、街に張り巡らせた自転車道にはイタリアのそれと同じく車が道路両脇に列車のように駐車していているし、丁度ラマダーン(断食月)にあたってしまい、毎日夕方5時過ぎから翌午前3時頃までは街中が大騒ぎだった。
<DAY1>
5月20日(土)17時スタート。当日受付・当日ミーティング・当日試走で直ぐにレース。日本の環境を当たり前に思っているなら対応は困難だろう。短時間で全ての事象を見極め、最新情報を更新し続け、仲間をつくってコミュニケーションしないとレースにならない。快晴の夏日の夕刻、海を見下ろす城跡を巡る4.2㎞を7周回。全カテゴリーが2分差で順次出走となった。(この時期、夕暮れは20:30過ぎ)
1周目、平野選手はアップでは体調に良い感触を得ていた。しかしスタート直前の試走でパンク。スタート時刻まで30分を切っており、急遽タイヤをリペアしてのスタートとなった。定刻より3分早く号砲。(こちらでは選手の顔ぶれをみて時刻が早まるなんて当たり前)平野選手はペダルキャッチをミスすることなく、地元のギリシャNCらと共に先頭パックを形成しながらトレイルに飛び込んでいく。
2周目、先頭2名が飛び出し、3番手以下は直ぐにバラけ始めていた。平野選手は3-5番手の縦長パックで展開するが、先頭との差は開いていく。身体に軽快さがみられず表情もさえない。
3周目、明らかにいつもの平野選手とは違う歪んだ表情でフィードゾーンに戻ってきた。ライバル選手への反応も鈍く、我慢の走りが求められた。この時点で4番手の単独走行となる。
4周目、エリート下位の選手、時間差スタートしたジュニアや女子選手などがコース内に散らばり、ループとなってきた。シングルトラックでは遅い選手がブレーキとなり、上りも下りもマスクされ思うように前を追うことができない。(海外選手と自国選手への選手同士の対応が異なるのは当たり前)
5周目、背後からキプロスNCが近づいてきた。実力的には平野選手の方が上だが、表情は険しいまま。ラップを維持しながらガマンの展開、4番手。
6周目、キプロスNCに先行を許してしまい5番手に後退するが、背中が見える位置で粘りのある走り。体調も前半より若干回復しているように見える。
7周目、ファイナルラップ。平野選手はリスク覚悟でペースアップ。しかし、試走時と同様にダウンヒルのロックセクションで前輪をパンクさせてしまう。追走叶わず、フラットタイヤで5位フィニッシュ。ギリシャNCが1周目からの逃げ切りで優勝。
<DAY2>
5月21日(日)12時スタート。前日と全く同じコースとラップ数。2時間に迫ろうとするラップも、コース上でループになるカテゴリー出走時間差も変更がなく、前日のフィニッシュから僅か17時間後のスタート。天気は夕立が予想される曇りがちな真夏日。
1周目、前日出場していない地元選手が勢いよく飛び出す。しかし平野選手の体調は回復基調にあり、慌てることはない。8番手前後でシングルトラックに入り、パスポイントで確実に順位を上げていく。
2周目、固く鋭い岩が松林の中で牙をむくダウンヒルでは、パンクを回避するために慎重な走りを指示。それ以外のセクションで平野選手の良さを活かせる場面が多いと判断したためだ。前後の選手はパンクやチェーントラブルでリタイヤが多発。平野選手は6番手前後で徐々に前の選手との差を詰めていった。
3周目、確実な走りで順位を5番手にあげてきた。先頭はマラソン世界王者。それを元気に猛追するフランスのホープ、腰辺りを気にしながら遅れていくギリシャNC、足がなくなってきたキプロスNCという構図。
4周目、平野選手がキプロスNCをとらえて4番手に浮上。一方、先頭争いは先の2選手が肩を並べて激走をみせてラップが上がり、3位以下とのタイム差が拡大。ギリシャNCは先頭争いを容認しプッシュをやめた。
5周目、ポディウムは、このレースにエントリーしているUCIランキング上位5選手に完全に絞られた。平野選手はキプロスNCを更に突き放しながら単独で前の3選手を追いかける格好。ギリシャNCとの差が少しずつ縮まっていく。
6周目、先頭はマラソン世界王者。フランスのホープを完全にちぎっていく。平野選手は単独でプッシュを続けるが、ポディウムを狙う選手の背中をとらえることができない。
7周目、平野選手は彼本来の爆発的な走りを敢えてスポイルし、ノーミスで後続との差を広げながら4位でフィニッシュ。彼にとっては満足感の薄いレース運びになったかも知れないが、このレースに求めるチームオーダーを確実にこなしてくれた。
残念ながら2日間ともポディウムに上がることは叶わなかったが、日本人UCIトップ3として必要なUCIポイントの獲得に成功した。
残念ながら2日間ともポディウムに上がることは叶わなかったが、日本人UCIトップ3として必要なUCIポイントの獲得に成功した。
そして、大会主催者や連盟からはまた来て欲しいと複数のオファーを頂いた。何度も何度も握手とあいさつが続く。
遠征最終日、会場からアテネ空港への移動途中、僅か90分間(レース時間より短い!)だが、パルテノン神殿、ゼウス神殿を二人で眺めることにした。来る2018全日本選手権、2020TOKYOを見据えて。
この遠征に関わる全てのスポンサー、サプライヤー、関係者、ファン、家族、そしてギリシャの素晴らしい友人に感謝します。
そして、TEAM BRIDGESTONE Cyclingは次の戦いへ準備を進めます。
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