R、東ティモールUCI-1レース
アジアで最も新しい未知の国、東ティモール。この国の首都ディリで開催されるUCI-C1レースに日本代表として参加。アンカー2選手と山本幸平選手(BH)、鈴木代表監督を含め5名の体制。コンパクトなチーム体制だが、現状日本人として最も海外経験と実力のあるメンバーで構成された。これは挑戦ではなく、2020を見据えてUCIポイントをより多く獲得するために向かうレース。目標はポディウムを埋めることにある。
到着した首都ディリ。かつての戦乱から完全に脱却し、今はアジアンローカルな街の風景を保ちつつ、急速に発展するインフラや外資で生活環境は年々改善されている様子。しかし、コースとなった山麓周辺はまだ数十年前のアジアのそれで、裸足の子供たちが瓦礫の上を飛び回り、女性は頭に薪を乗せ、兄は天秤で野菜や果物を売り歩く。道路は荒れたグラベルが多く、バイクの方がはるかに走りやすい。主要ホテルはエアコンが完備され、WIFIも何とか繋がる。生活雑排水のない街はずれの海はとても透明度が高く綺麗。国連が統治していた時期の名残で街中にはカフェやマッサージ、スーパー、レストラン、バーガー屋もあるため、チームの生活拠点として不足はない。
一方、この国で最もポピュラーなスポーツはサッカー、その次はMTB。実にマウンテンバイクファンの多い国でもある。子供達はすぐに近づいてきて笑顔でバイクと自分の脚を触ってくる。学校教育の中で「忠犬ハチ公」が紹介されているらしく、日本を知っている若者も多い。「アリガト」「コンニチハー」は良く聞く。何とも人懐こく純粋な眼をしている人が多い。このレースでもスタッフは懸命に職務をこなしていた。(時間にはとてもルーズだけど)
コースはディリの街並みを見下ろす岩盤山に新設されていた。ここは3カ月間雨が一滴も降っていない。山は痩せていて土壌が薄いため、山を削って作ったコースはパフパフで、砂が混じりスリッピー。スタートしてから一気に舗装路を下り、規制されていない街中のグラベルを通り抜けて急激な山を登坂しては下り、また劇坂を登りフィニッシュへ向かう。レイアウトは極度に高低差が激しく、流れが作り難い。鋭い礫も多くの箇所にあり、パンクのリスクもある。フィードはダブルだがレフトサイドのみ。ニュートラル用の運搬車がゾーン内に駐車され、実質的な運用スペースは数メートルしかない。ただ、現地のニュートラルスタッフが四方から「JAPAN Rider Come!」と常に情報をくれるので、3名のサポートに混乱は起きなかった。
レースは10時スタート、4.3㎞を5周回。高温回避からプログラムより30分早いスタートとなった。エリートはカザフスタンのKIRILL選手がゼッケン№1。沢田選手№2、山本選手№3、平野選手№4。この国を最もよく知るKIRILL選手を封じてポディウムをJAPANで埋めるためには、他国を間に入れず列車を編成しながら相手を利用してのアタックが必要。
スタート。やはりKIRILL選手が飛び出す。それにJAPANの3選手も素早く反応し、平野選手を先頭に3選手で列車を組んでKIRILL選手をキャッチ。しかし登坂であきらかにトラクションの掛からない平野選手が遅れはじめ、タイの選手が割り入る。沢田選手がKIRILL選手の背後から劇坂インコーナーで一気に前に出て先頭を奪い2周回目へ。
2周目、プロトンはタイ選手を切り離し、KIRILL選手、山本選手、沢田選手の3名がレースを支配した。沢田選手が積極的に先頭を引きフィードに戻ってきた。一方、平野選手は礫を踏んでパンクしてしまい、1㎞先のフィードまでランニングとなりホイール交換。一気に順位を下げてしまう。
3周目、脚を使っていた沢田選手はKIRILL選手に前に出られると先頭パックから遅れ出してしまう。しかし粘りをみせて再び先頭プロトンの目の前まで捉える。平野選手は前を追い続けるしかない展開。
4周目、ここで山本選手が一気にラップ30秒を縮めるアタックでトップに立つ。KIRILL選手はこれに反応できずその差は徐々に広がっていった。沢田選手も懸命にKIRILL選手を追うが捕まらない。平野選手はタイ選手の後塵でコンクリート。
5周目(ラストラップ)、山本選手が独走でフィニッシュ。今季海外レース初優勝を飾った。沢田選手は今ある力を出し切っての3位となり、目標のポディウムを獲得した。平野選手は7位。
結果、目標であるチーム3名でポディウムを埋めることは叶わなかったが、UCIポイント合計106点を日本にもたらすことに成功した。アンカーチームとしても、ジャパンチームとしても来季につながる実りあるレースになったと言える。
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