2020年4月20日月曜日

S、Maai & Metsuke

「間合い」と「目付け」
この言葉から現在の情勢を鑑みようと思う。
小学5年生のとき、近隣で剣道場開設のために必要な人数集めで無理に誘われたことが切欠だった。結局、8年間にわたって一日も休むことなく剣道場に通い、誰よりも早く有段者となり、地域の誰よりも強くなる機会に恵まれた。
でもそれが自分の目的ではなかった。毎日が無我夢中だった。剣と目と心で相手を読みとり、身体が瞬間移動する様を楽しんだ日々は今でもリアルに思い出す。
スポーツ剣道が進むに従って、剣先は年々軽くなり、これが真剣ならば相手を斬るなんて到底出来ない動きが試合で求められるようになっていった。剣を相手より先に打点に触れた方が勝てるのだから当たり前だ。大きく振りかざしたり、切り裂くための動作では相手のスピードに劣るのは当然で、”武道”といえどもそれは現代のフェンシングと同様にスポーツ化している。
徹底して稽古された剣道形では、真剣を使うことを前提に、自分を守りながら相手を斬るための力強い動作が必要とされるため、身体の大きさの差は技術と戦術によって解決できることを学んだが、実際の試合ではそうはいかない。自分の身長は道界の強豪の中では小さい方で、剣を交えるには不利であることは明白だった。従って、相手の手足のストロークよりも短い中でどう攻めれば良いのか、どう守れば良いのか、そして相手がどんな戦い方をしようとしているのか、そのスピードはどうか、などに注視する必要があった。
でも、その悩みを解決し、自分の剣を獲得できる唯一の答えが「間合い」と「目付け」だということに気づいたのは、道場の退出を決めた18歳のときだった。技でも速さでも持久力でもなかった。
「間合い」とは空間的な距離を示し、攻防の重要な間隔と言われる。この間合いは相手も同様に計算している訳で、双方の距離感は常に緊張しっ放しだ。一方、その「間合い」は剣の構え方、戦術によっても変化してくるので一定ではない。言い換えれば、相手の心理が分かれば、自分にとって有利な「間合い」にすることが出来る。
それを可能にするのが「目付け」だ。「目付け」とは相手の目を中心に頭からつま先までの全体を捉える業。物理的な動きはもちろん、心を洞察するためでもある。人はどうしても気になる箇所を凝視してしまう癖がある。それを解き放ち、すべてを大らかに見ることによって相手の動きを予知することができるようになっていく。

今、世界中が新型コロナウイルス感染症によるパンデミックに陥っている。世界大戦よりもその影響力、破壊力は大きいかも知れない。
自分の住む地域も例外ではなく、あらゆるものを飲み込んでいる。

「間合い」と「目付け」

今更ながらにこの言葉が強く突き刺さってくる。
そして、剣の道は礼に始まり、礼に終わる。
社会で闘う全ての人々、その方々を応援する人々に感謝します。