2019年11月29日金曜日

O、Live as if you were to die tomorrow

47番目の訪問先は島根県。これで国内すべての都道府県に伺うことが叶った。過去に2日間滞在した鳥取も、実はホテルと空港間を知るだけ。自分にとっては国内に残された未知の地域だった。
今日のネット社会では、まるで訪れたかかのような錯覚になる画像や情報が簡単に得れる。交通機関も改善されているし、特に行くことには困難はない。でもどうしても行く機会に恵まれず、とうとう国内最後の未知の県になっていた。
レースシーズンの合間、ビジネスとのタイミングが合致したこの機会を逃す訳にはいかない。米子空港をハブにして、この両県を訪問。たった3日間だったけど、10分として無駄な時間を過ごすまいと毎日100㎞以上のゴーストップを繰り返した。
島根の食は素晴らしかった。山畑の幸も海鮮も宍道湖のシジミも畜産物も、どれもが生産者の皆さんの息遣いと思いが感じれるような美味しさ。とことんシンプルな旨さを堪能することができる。
夜に到着した出雲には驚いた。すぐ先に大社があるホテルに泊まったのだが、朝まで眠ることができなかった。何かを感じて頭がフル稼働してしまい一向に寝れる気がしない一晩。こんな経験は初めてだった。大社の発する何かがそうさせたのかも知れない。それだけの威厳や空気が出雲にはあった。
自然の造形も独特だった。紅葉の最終盤であったのだが、長野県とは異なる柔らかい山々と複雑な海岸線。見る景色はどれも新鮮なものだった。
鳥取へ移動。まだ国道9号線をベースにした山陰道が未完成なのだが、それがかえって便利。100㎞以上もの高速区間が無料となっていて、山陽と違い混雑もそう重くないために計算した時間で移動できる。沢山のビニールハウスと刈り後に再度出穂した田んぼが広がる。海岸線には風力発電用の巨大なプロペラがデンマークのように並ぶ姿も壮観。
そして鳥取。やっぱり砂丘はスケールが大きい。ラクダだけでなく、セグウェイやファットバイクやサンドボードといったスポーツアクティビティも増えていた。電動カートで周辺の道路を散策することもできる。鳥取はスイカやらっきょうや梨といった国内でも有名な農産物の宝庫であり、世界で唯一の砂の美術館をもつ特異な地域。
でも「鳥取は島根の右です」と書かれたユニークなタオルやTシャツが置かれていたことから、まだまだ集客のチャンスがある場所だなと思う。(砂丘でシクロクロスやるなら、ああ引いてこう戻して・・・いやXCCの方がいいかなと思って眺めたのも事実)
砂の美術館に立ち寄った。入口の真正面にマハトマ・ガンディーの砂像がある。そしてそこにはあの有名な言葉、自分の信じる偉大な言葉が刻まれていた。

Live as if you were to die tomorrow.
明日死ぬかのように生きよ。
Learn as if you were to live forever.
永遠に生きるかのように学べ。
You must be the change you want to see in the world.
あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい。
The weak can never forgive.Forgiveness is the attribute of the strong.
弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。

砂から温かさを感じ、この言葉の強さが突き刺さる。

素敵な島根と鳥取に感謝。出会いに感謝。
また来ます。必ず。













2019年11月11日月曜日

O、Iiyama Cyclocross

2019年11月10日、JCX第3戦飯山大会(シクロクロスミーティング第4戦飯山大会)。
飯山らしい秋空の中、まるで全日本選手権といえる豪華な顔ぶれで展開されたアグレッシブなレース。190名のライダーが飯山市長峰運動公園に特設された国内屈指と評して貰えるテクニカルな飯山レイアウトを駆け、そして舞った。
強い者が勝つ。レーシングである以上、偶然ではなく選手のパフォーマンスが正確に成績となるよう今の飯山にできる全てを用意した。

DJ河合桂馬は更に進化した飯山CX専用音楽を。エスキーナのキッチンバスは食材が切れる程の賑わい。地元のWASHIMORIは大人気の信州そばを振る舞う。観光広報テントはグラベルとウィンタースポーツを発信。フルマークスは最高のアウトドアウェアを並べ、売り上げから義援金を。競技運営だけでなく、ホスピタリティもワンチームとなって飯山スタイルを表現してくれる。

自然は飯山に甚大な被害をもたらした。でも、この日はコースにスパイスを加えようと朝方まで最適な雨を降らせ、スタートには最高の秋晴れを、閉幕時間には綺麗な夕焼けを演出してくれた。この日は決して忘れることはないだろう。

この日を迎えることができないかも知れないと覚悟した朝、自分はUCIレースのために欧州の地にいた。日本では台風19号による水害が各地で起き、NAGANOは堤防決壊による甚大な災害になっていると現地のニュースでも流れていた。
広大な大河のように氾濫したその映像を見れば、どこがどうなっているかは容易に理解できた。自分がとてもよく知る場所ばかり。地形も畑の位置も小さな水路も、家屋も駐車場の車種すらリアルに想像できる。
辛かった。直ぐにでも帰国したかった。目の前には東京オリンピックに向かうためにとても重要なレースが続く。スポーツとは言え、選手たちは自分の生活・家族の思いを背負ってここに来ている。苦しい日々だった。

飯山に帰れたのは災害発生から2週目。
自分の帰国を待っていた人たちとのミーティングを繰り返した。しかし大会事務局を置く飯山市からの言葉は想像もできないものだった。
「開催して欲しい」
「中止は簡単。でもそうじゃない」
飯山市役所は過去にない程の浸水被害にあい、庁舎でも街でも休みなく総動員で復旧にあたっていた最中のミーティング。大会スタッフも自ら被災しながら市民への援助を行っている。今後の二次被害や終わりが見えない復旧活動を考えれば、イベントの中止は当たり前の状況だった。
ミーティングが終わり、まだ水害の泥跡が残るトイレに入った。目にゴミが入って仕方ない。そこには感謝しかなく、同時に一人では決してできないこの大会を絶対に成功させなければならないという強い決意が生まれた。
開催決定と同時にエリートライダーたちにもメッセージを発信した。どうか飯山に来て元気に走って欲しいと。選手たちも直ぐに反応してくれた。
「行きます」
「大会を開催していただきありがとうございます」
武者震いしない訳がない。
TEAM BRIDGESTONE Cyclingや地元の選手たちも杭打ちから支援に入ってくれ、信州大学からもスタッフ援助の申し出があった。スポンサーからは愛情たっぷりの支援。他県からも大会ボランティアが会場に入り、連日手足を汚しての作業を続けていただいた。

走る選手たちを思い浮かべ、完成したときのラインを頭の中に再現する。もうこの場所に何本の杭を打ってきただろう。いつもと同じ場所に同じように打てば簡単なことのように思えるが、この会場でのレースを重ねるたびに新しいアイディアが発生してくるからコースディレクションは難しい。一見例年同様に見えるラインも2019バージョンに調整するため、遠くを眺めては杭を打つ。どんなに時間があっても余ることはない。あっと言う間に日暮れになっていく。

日曜の朝、レースがはじまる3時間以上も前からクルマがどんどんと会場入り。コースを見ながら攻略方法を話し合っている人、コーヒー片手に朝ご飯をつくる人、紅葉した山々を写メする人。。。400名程の人で特設会場が埋まっていく。紅葉真っ盛りの山々と、太陽に反射するコーステープの中を走る選手たちの躍動線が、静と動を美しく表現していてとても綺麗だ。

レースが進むにつれ、カテゴリーレベルが上がる。ライダー数も増え、フルガスでギリギリのラインを攻めることが多くなるため、何度直してもコーステープが切れたり、杭が倒れてしまう。強固に設置した鉄杭とアルペンポールでさえだ。どんな時間帯でも飯山ラインを失わないよう、マーシャルも懸命に補修作業にあたっていた。自分もアシストに入り、走行をできるだけ邪魔しないよう身体を丸めてテープとネットを補修していたのだが、そのときコースを通過する選手からある言葉をかけられた。
「直してくれてありがとうございます」
驚いた。このハードな飯山のコースを走る選手の負荷を考えれば、言葉を発することだけでも簡単じゃない。次の選手が迫ってきた。
「がんばってください」
一体どうなってるんだ。選手たちに励まされているようだ。
「ご苦労様です」
おかしい。このレースを走っている選手たちはおかしい。限界で走りながらスタッフを労うなんて本当におかしい。

レースは全て予定通りに完了し、スタッフ全員が笑顔で閉幕した。そして沢山の人に声をかけて頂いた。
「開催してもらってありがとう」
「飯山、最高に楽しかった」
「また来年もよろしくお願いします」
「身体大事にしてね」

人はどうしてそんなに優しいのだろう。
自分にこんな優しさがあるだろうか。
シクロクロスというスポーツを通じて、感謝という言葉の意味を知った。

飯山に集まって頂いた全ての方々に。

ありがとうございました。
また来年、必ず。