2020年5月25日月曜日

S、Jitensha

こんなにも自分と家族に向き合える時間があったろうか。
そして、こんなにも自分にとって自転車って何だろうと真剣に鑑みたことも初めてだったかも知れない。
選手と当たり前のように海外を回り、帰国したら直ぐに国内ビジネスでフライトし、過密なスケジュールの間に残っている時間をどう有効に休もうか、遊ぼうか、自転車に乗ろうかと考えていた日々は記憶に遠くなっている。
今は自分次第。
情報交換や会議は信じられない速度でオンライン化し、距離は言い訳にならない。
レースがキャンセルになっている今はひたすらに選手を信じ、彼らにかける言葉にどれだけの責任と力があるかを知る。
ビジネス相手やパートナーには、最大限の尊敬と僅かでも支援できる行動をとること。
これまでの”当たり前”で凝り固まった頭の中を整理する絶好のチャンスになっているのは確かだ。
レースやテストライド以外で自転車に乗ること、すなわち自分から自転車に乗りたいと意識して出掛けることが今は自由にできるようになっている。すると何故だかこれまでになかった感情や記憶の再生、アイディアが浮かんできた。不思議な感覚だった。
日の丸、日本一、アジア一、世界、オリンピック、最強プロチームといった称が、自分の本意と違う自分を作り上げていたんだと気付く。
自転車はとても楽しい。一旦走り出せば、社会とのコンタクトは交通法規のみに限定され、大自然を相手に自分を解き放つことができる。初めて自転車に乗れたときの気持ちが蘇る。自己倒立できない2輪車が自分の身体と一体になると転ばずに前に進む不思議。夢の乗り物を手にした喜びがあった。
近所の兄さんたちから借りた新聞配達車のような武骨で大きな自転車に三角乗り(体が小さくサドルに座れないのでフレームの中に身を入れて漕ぐ)することができたときは確実に世界の景色が変わった。
初めてのスポーツバイクはBSのスポルティーフ。ロードバイクは中古品。でもそれはポルシェとフェラーリかランチアを手にしたかのような衝撃に包まれていたし、憧れのオリジナルスケルトンのハンドメイドバイクを突然の電話で呼び出されて手にしたときは武者震いした。
選手を引退すると決めた時の気持ちは決して晴れやかなものではなかった。勝手に自分が定めた目標に自分の限界が達しないことへのイラつきとケガの繰り返し。金銭や手厚い支援に対して、速く走ることが義務のようになり、心から自転車が好きだと言えなくなっていったあの頃。
でも今、本当の自分の意志で自転車を走らせることができる。
パンデミックになった今だからこそ、産まれ育った地域の環境や暮らし方、これまで培ってきたノウハウ、世界中の仲間、社会に貢献すべき責務が明確に見えてくる。
世界はデッカイ。でも地域はもっと偉大で寛大だ。
自転車は脚を止めなければ走り続ける。そして目線の向く方向に進む。
これからも自分の自転車を走らせて行こうと思う。
いつもありがとう、みんな。