2018年5月23日水曜日

W、Lepanto UCI-2 2DAYS

ギリシャの歴史的な古港Lepantoの城跡で開催されたUCI-C2の2連戦を終了。結果、平野選手がDAY15位、DAY24位と健闘し、UCIポイントの連続獲得に成功した。
沢田選手はケガの治療に専念するため、このレースはキャンセル。

このレースは2日間とも、ギリシャのトップ2である2選手、フランスの19歳ホープ、キプロスナショナルチャンピオン(以下NC)、そして平野選手の5名が実質的なポディウム争いを展開した。優勝はDAY1ギリシャNCのANTONIADISDAY2マラソン世界チャンピオンILIASと両日ともギリシャ選手が制した。
平野選手のDAY1は内臓変調とパンクに見舞われ思うように展開できなかったが、DAY2は体調も回復しハイリスクを回避しての堅実な走りをみせた。
ドイツでワールドカップが開催される同週末、ギリシャでは情熱のある主催者によって歴史的な遺跡での連戦が用意された。主催者からは、早い時期からチームにインビテーションがあり、ワールドカップではなくLepantoでの戦いを選択。アジア選手権セブ、八幡浜国際、そしてギリシャ2連戦と3週間で4レースをこなすのは選手のパフォーマンス、チーム体制を維持するだけでも大変だが、日本国内やアジア地域ではまず経験できない貴重な機会でもある。そして、日本人が本気でUCIを転戦する姿を応援したいとオルガナイザーも連盟も現地のジャーナリストもみな笑顔で迎えてくれた。これこそがUCIチームとしてTEAM BRIDGESTONE Cyclingが求めていくべき姿のひとつだと思う。
Lepantoはアテネから230㎞西にある。レンタカー会社の粋な計らいでアウディA3の新車が用意されていた。自分が知っているかつての荒れた道路は何処にもなく、日本に劣らない素晴らしく整備された高速道路網ができていた。当然移動はストレスなし。アジア選手権が遠く懐かしい思い出に感じてしまう程の快適さだ。
街は歴史の教科書に出てくるレパントの海戦で有名なリゾート地だが、街が小さくまとまっており、短期間の生活にも困ることはない。欧州では珍しく、公共水道もしっかり整備され、水道水は飲むことが可能。街の隅にもゴミ溜めはなく、暮らす人々も穏やかだ。ただ、街に張り巡らせた自転車道にはイタリアのそれと同じく車が道路両脇に列車のように駐車していているし、丁度ラマダーン(断食月)にあたってしまい、毎日夕方5時過ぎから翌午前3時頃までは街中が大騒ぎだった。

DAY1
520日(土)17時スタート。当日受付・当日ミーティング・当日試走で直ぐにレース。日本の環境を当たり前に思っているなら対応は困難だろう。短時間で全ての事象を見極め、最新情報を更新し続け、仲間をつくってコミュニケーションしないとレースにならない。快晴の夏日の夕刻、海を見下ろす城跡を巡る4.2㎞を7周回。全カテゴリーが2分差で順次出走となった。(この時期、夕暮れは2030過ぎ)

1周目、平野選手はアップでは体調に良い感触を得ていた。しかしスタート直前の試走でパンク。スタート時刻まで30分を切っており、急遽タイヤをリペアしてのスタートとなった。定刻より3分早く号砲。(こちらでは選手の顔ぶれをみて時刻が早まるなんて当たり前)平野選手はペダルキャッチをミスすることなく、地元のギリシャNCらと共に先頭パックを形成しながらトレイルに飛び込んでいく。
2周目、先頭2名が飛び出し、3番手以下は直ぐにバラけ始めていた。平野選手は3-5番手の縦長パックで展開するが、先頭との差は開いていく。身体に軽快さがみられず表情もさえない。
3周目、明らかにいつもの平野選手とは違う歪んだ表情でフィードゾーンに戻ってきた。ライバル選手への反応も鈍く、我慢の走りが求められた。この時点で4番手の単独走行となる。
4周目、エリート下位の選手、時間差スタートしたジュニアや女子選手などがコース内に散らばり、ループとなってきた。シングルトラックでは遅い選手がブレーキとなり、上りも下りもマスクされ思うように前を追うことができない。(海外選手と自国選手への選手同士の対応が異なるのは当たり前)
5周目、背後からキプロスNCが近づいてきた。実力的には平野選手の方が上だが、表情は険しいまま。ラップを維持しながらガマンの展開、4番手。
6周目、キプロスNCに先行を許してしまい5番手に後退するが、背中が見える位置で粘りのある走り。体調も前半より若干回復しているように見える。
7周目、ファイナルラップ。平野選手はリスク覚悟でペースアップ。しかし、試走時と同様にダウンヒルのロックセクションで前輪をパンクさせてしまう。追走叶わず、フラットタイヤで5位フィニッシュ。ギリシャNCが1周目からの逃げ切りで優勝。

DAY2>
521日(日)12時スタート。前日と全く同じコースとラップ数。2時間に迫ろうとするラップも、コース上でループになるカテゴリー出走時間差も変更がなく、前日のフィニッシュから僅か17時間後のスタート。天気は夕立が予想される曇りがちな真夏日。

1周目、前日出場していない地元選手が勢いよく飛び出す。しかし平野選手の体調は回復基調にあり、慌てることはない。8番手前後でシングルトラックに入り、パスポイントで確実に順位を上げていく。
2周目、固く鋭い岩が松林の中で牙をむくダウンヒルでは、パンクを回避するために慎重な走りを指示。それ以外のセクションで平野選手の良さを活かせる場面が多いと判断したためだ。前後の選手はパンクやチェーントラブルでリタイヤが多発。平野選手は6番手前後で徐々に前の選手との差を詰めていった。
3周目、確実な走りで順位を5番手にあげてきた。先頭はマラソン世界王者。それを元気に猛追するフランスのホープ、腰辺りを気にしながら遅れていくギリシャNC、足がなくなってきたキプロスNCという構図。
4周目、平野選手がキプロスNCをとらえて4番手に浮上。一方、先頭争いは先の2選手が肩を並べて激走をみせてラップが上がり、3位以下とのタイム差が拡大。ギリシャNCは先頭争いを容認しプッシュをやめた。
5周目、ポディウムは、このレースにエントリーしているUCIランキング上位5選手に完全に絞られた。平野選手はキプロスNCを更に突き放しながら単独で前の3選手を追いかける格好。ギリシャNCとの差が少しずつ縮まっていく。
6周目、先頭はマラソン世界王者。フランスのホープを完全にちぎっていく。平野選手は単独でプッシュを続けるが、ポディウムを狙う選手の背中をとらえることができない。
7周目、平野選手は彼本来の爆発的な走りを敢えてスポイルし、ノーミスで後続との差を広げながら4位でフィニッシュ。彼にとっては満足感の薄いレース運びになったかも知れないが、このレースに求めるチームオーダーを確実にこなしてくれた。
残念ながら2日間ともポディウムに上がることは叶わなかったが、日本人UCIトップ3として必要なUCIポイントの獲得に成功した。
そして、大会主催者や連盟からはまた来て欲しいと複数のオファーを頂いた。何度も何度も握手とあいさつが続く。

遠征最終日、会場からアテネ空港への移動途中、僅か90分間(レース時間より短い!)だが、パルテノン神殿、ゼウス神殿を二人で眺めることにした。来る2018全日本選手権、2020TOKYOを見据えて。

この遠征に関わる全てのスポンサー、サプライヤー、関係者、ファン、家族、そしてギリシャの素晴らしい友人に感謝します。
そして、TEAM BRIDGESTONE Cyclingは次の戦いへ準備を進めます。


2018年5月15日火曜日

W、Yawatahama UCI-1

八幡浜国際MTBレースUCI-1が豪雨と泥の中で終了。
結果、肋骨の骨折を負いながら走った沢田選手が7位、シューズを破損し大きく順位を落とした平野選手が12位となり、二人でポディウムに上がる目標は達成できなかった。優勝は山本幸平選手。2位にカザフスタン、3位にドイツ選手。
アジア選手権から帰国してわずか4日。我々チームにとって今季初の国内レースとなる愛媛県八幡浜市に向かった。多くの国内選手にとってはCJ初戦や2戦目となる八幡浜ステージだが、TEAM BRIDGESTONE Cyclingにとっては、キプロス、フィリピン、オーストラリア、アメリカ、アジア選手権セブをこなしての8戦目にあたる。チームとしても日本代表としても常に一緒に時間を過ごしてきているため、チームとしては海外だとか国内であるとかの特別な意識はない。選手の体調も毎週のレースモードになっている。
ここ八幡浜は国内唯一のUCI-クラス1であり、ポイントを獲得するに絶好の機会。昨年は平野選手がラストラップまで完全独走しながら転倒し、沢田選手がかわって優勝を果たしたレース。今回はカザフスタンのエースKrill選手やドイツのLysander選手など、海外レースでもよく会う有力選手も来日し、ようやく国際レースと言える顔ぶれになりつつある八幡浜だったが、天気予報では週末だけ高い確率で大雨であると発せられ、会場の多くの関係者には祈りに似たような、雨を睨むような光景が見られた。
前日の試走では、翌日の雨を強く想定し、ハードドライなコースを流れで走るのではなく、立ち止まりながら雨であったらどうなるか、をイメージしていく。タイヤやエア圧、サスペンションセッティング、ノンプロコーチやメーカーのウンチクは多様に存在するが、最も大切なのは、選手ごとに異なる走りの特性と感性に合わせてバイクをセッティングすることだ。特に天候に左右されるタイヤの選択はジャンケンと一緒であり、正解率は平等。選手の経験値と研ぎ澄まされた感性を最優先にすることが最強の武器になる。
1週間前のアジア選手権とほぼ同時刻、14:30、6周回のレースがスタート。数ミリの雨が降り続き、路面はドロドロで霧も立つ暗い空気の中での張り詰めたスタート。大きな落車もなく大集団が会場を抜けてアスファルトでのポジション取り合戦に向かう。
トップ8ライダーとして最前列に並んだ平野選手と沢田選手だったが、痛恨のペダルキャッチミス。二人とも集団に飲まれてしまう(アジア選手権と同じ光景)。しかしシングルトラックに入るまでに二人でジャンプアップし、6-7番手につけて1周回目に入る。あらたに改造された前半のコースレイアウトの影響で、集団は細かい中切れを起こしながら棒状になり、ヘビーマッドも相まって初回周から大きくバラけて進行した。
2周目、先頭2選手が1周目からうまく抜け出し、後続パックでは海外勢と平野・沢田選手が数秒の間隔を置きながら追っていく展開。2選手ともアジア選手権での疲れを感じさせない走りで集中して前を見据えているが、先頭パックとのタイムギャップはイーブン。この時点で沢田選手はの順位は3-4番手前後、平野選手は5-6番手。
3周目、劣化するコースコンディションの影響で選手同士のブレーキングやクリップポイント、ランニングが交差してしまい、先頭を追う以前に3位以下のパックは混沌とした状態に。プッシュしたくても前に行けない状況。
4周目、平野選手は落車の影響でシューズのバックルを破損し大きく後退。1周回を引き足の使えない状態で走り、テクニカルフィードでシューズ交換して再スタート。沢田選手はランニング区間での胸の傷みが増しラップダウン。背後から迫ってきた選手にパスされていく。
5周目、エリートと同時出走となったジュニア選手、エリートのラップの遅い選手がレースをリードする選手の間に入り込みシケインになってしまう格好に。全く速度の異なる選手間に摩擦が起きてしまい、乗れる区間もバイクを降りなければならないストレスが多発。思うように前を追うことができない。
6周目、沢田選手は胸の傷みに耐えながらも諦めない走りが続く。得意な泥を上手く攻略しながら7番手でラストラップへと向かう。平野選手は奪われる体温で走りが固くなり、彼本来のパワフルな走りがスポイルされてしまうがセーフティーにフニッシュへ。
2週連続で雨に振り回されるレースとなった。このレースの結果はチームが求めたものではないが、今後も経験するであろう多雨と泥の中での決戦、選手ごとの課題を明確にすることができている。
チームのチャレンジは続く。明日からはギリシャ遠征。週末はエーゲ海をのぞむ古城で開催されるUCI2連戦。
多くのサポーター、スポンサー、サプライヤー、家族に感謝します。
TEAM BRIDGESTONE Cyclingは勝利を追いかけます。






2018年5月12日土曜日

W、Asia MTB Championship

フィリピン・セブ島で開催された第24回アジアMTB選手権が終了。
TEAM BRIDGESTONE Cyclingからは平野・沢田・小林が日本代表として参戦した。
結果、XCOエリートMenは日本の2選手がポディウムを獲得。平野選手がレース中盤で全体最速ラップを叩き出すなどの活躍で3位となった。沢田選手はアメリカでの大ケガからの完全復活を果たすことが出来ずDNFとなった。(チームリレーは2位、XCOJr女は1・3位、DHIエリートMen3位、JAPANチームは合計6個のメダル)
アジア選手権は地理・文化・環境・生活を含め、常にタフな戦いを強いられる場所だ。今回のセブ島もまさにそれ。高温多湿に加え、激しい道路渋滞や慢性的な機材・選手の輸送不足。オフィシャルホテルからコースの往復に5時間も要するレース環境は、日本では絶対に経験できないそれ。某国の強引なマナー・ルール違反は大会全体の進行を狂わせ、ストレスフルな毎日が続いた。
一方、オフィシャルホテルの地下駐車場はバイク保管とメカニックエリアになっていたが、完全なセキュリティー体制が敷かれ、バイク盗難の心配は皆無。十分にスタッフが仕事のできる環境が用意されていた。しかし、24時間ずっと35度前後の無風空間、洗車場が用意されていないレース会場とホテルで1本しかない溜め水、山積みとなるバイク輸送トラックでのバイク損傷と整備、翌日の氷水の購入手配と輸送交渉など、近年稀にみる過酷なものになり、自分は毎日2時間ほどしか睡眠できず、日々体力が削がれていった。(案の定、帰国してから全身に蕁麻疹で病院送りに・・・)
選手も想像以上に困難な大暑馴化や思うようにできない試走、不安定な移動時間で日ごとにストレスが膨らんでいく。一旦雨が降れば強い粘質の土壌がタイヤをロックし、コースの大半はランニング大会に。乾けばコンクリートのように硬い路面へと変化する。
日本代表チームの誰にとっても毎日がサバイバルだった。
5月6日(日)15時、XCOエリートMenがスタート。大会期間中の最高気温を記録する猛暑の中で、4.2㎞×6周回のレースが始まった。2列目の好位置に並んだ平野・沢田選手であったが、二人ともペダルキャッチをミス。後ろから大集団に包まれるような格好でスタートループに入っていった。
ホールショットに成功したのは山本選手。彼を先頭にイラン、カザフスタン、中国、韓国などが続いていく。平野・沢田選手は20番手前後で1周目へ。
1周目、平野選手が大集団から単独で抜け出し、先頭パックの背後へとジャンプアップ。トラクションもよく掛かり、アグレッシブなダンシングで調子の良さが伝わってくる。一方沢田選手の走りは重く、バラツキ始めた大集団から思うように抜け出せない。
2周目、平野選手は3名の選手で形成されていた先頭パックに追いつく。この時既に先頭パックと5位以下とは15秒ほどの差。沢田選手は必死に前を追うが、先頭パックとの差は30秒近くに拡大してしまう。明らかに暑さに順応できておらず、走りにキレがない。
3周目、平野選手はオーバーヒートを防ぐため、自分のペースをつくり先頭パックの後方に下がる。パックも徐々にバラけ始め後半へのチャンスメイクを狙う格好。一方、沢田選手はフィードでストップ。ここで自らレースを降りてしまう。アメリカ遠征での大ケガの影響と酷暑の影響により、残念ながら彼本来の走りをすることが出来ないままDNFとなってしまった。
4周目、平野選手はロックセクションでミスし、機材を狂わせ、走行が困難になってしまう。射程にあった先頭から完全に分離され、テクニカルフィードに入ってきた。ここで機材修復を行い、1分程度の冷却休憩をゆっくりととって再スタート。
5周目、ここから平野選手はエリートファストラップを叩き出す。強いプッシュで僅か半周の間に2名の選手を交わして3番手にあがってきた。鋭い眼つきで走りも集中している。ファイナルラップでの逆転に望みをつないだ。
6周目、平野選手は単独の3番手でファイナルラップへ。4位以下を更に突き放しながら先頭の背中を追った。最後まで諦めない強いプッシュ。誰よりもアグレッシブな走りで観客も魅了した。しかし最後まで先頭をとらえることはできず、3位でのフィニッシュとなった。
TEAM BRIDGESTONE Cyclingとしては、目標であったアジア制覇を果たすことは叶わなかった。多くのスポンサー・サプライヤー、支援いただく関係各位の協力でこの日を迎え、今できる全てをこの日につぎ込んできた。しかし、この勝てなかったという事実を真摯に受け止めなければならない。同時に、この結果をこれから迎える今季全てのレースへのモチベーションに変えたい。
沢山の応援をありがとうございました。
TEAM BRIDGESTONE Cyclingはレースでの勝利を目指します。