2019年7月31日水曜日

O、Asian championship Lebanon

全日本選手権から1週間の今、ここレバノンの地にいる。2019アジアマウンテンバイク選手権の日本代表として、TEAM BRIDGESTONE Cycling は平野選手、沢田選手、小林が参加した。
結果、完走者がたった10名(出走33名)というXCOエリートで、平野選手が7位、沢田選手が10位となった。
10位以内には中国4名、イラン2名、カザフスタン1名が入り、アジアチャンピオンジャージは中国の若手エースの手に渡り、中国が東京オリンピックの大陸枠を獲得した。
今回の平野選手、沢田選手の成績は、東京オリンピックのXCO Men日本代表資格条件をクリアするものになるが、我々チームが求めてきた二人のポディウム獲得を果たすことはできなかった。
特に絶好調でレースを迎えた平野選手にとっては、得意なパートが全て除去されたようなコースになっており、スタート直後の渋滞やパンクも相まって本領を発揮できないままレースをフィニッシュした。
沢田選手はバイクに乗車できない得意な登坂でのプッシュを繰り返すなど終始全開で走ったが、平野選手からも4分遅れ、成長著しい若手の海外勢に力負けした格好であった。

初参戦の中東国を加えた今回のアジア選手権はいつもより国際色が豊かになっていた。また東京オリンピックへの大陸出場枠を獲得すべく、カザフスタン、イラン、中国、韓国などもスタッフを増員して事前合宿するなど、各国が例年に増して力を入れてきた。
まだ過去の悲惨な戦争の名残を感じるベイルートからクルマで90分北上した標高850mにあるオフィシャルホテル。レース会場はホテルから更にクルマで40分登坂した標高2000mのスキーリゾート。日中は、日本の真夏の気温になるが、空気は極乾燥していて日陰はとても涼しいが、会場周辺にはスキーレンタルハウス以外に何もない。
加えて、公式練習で義務づけされるコースマーシャル、ドクターが一人もおらず、初日の公式試走が途中でキャンセルになったり、会場とホテル間のトランスポーターは事前計画がなく、前夜にようやくスケジュールが決まるという事態。一時はUCIが大会そのものをキャンセルする可能性も示唆された。高地順応を含め、ソフト・ハード両面から順当には行かない厳しいレースとなることが予想された。
一方、平野選手は事前の高地トレーニングの効果もあり絶好調で会場入り。沢田選手もシーズンを通じてこのレースに照準を合わせてきた。そして、何が障害になろうとも決してフィニッシュまで諦めないことをシーズン中何度も確認してきた。だからレースへの指示はしない。彼らは全てを尽くしてスタートラインについている。
10:15定刻。森林限界を超えた鋭利な岩とアザミなどのトゲ植物だけしかない起伏の激しい荒れた路面の4.23km×6ラップ。二人とも最前列からのスタート。U23も同時スタートだ。しかし、直後のペダルキャッチミスや接触による集団の混乱と、滑りやすい砂壌土の登坂で大渋滞を招き、スタートしてから500mも進まないうちに両選手ともカザフスタンの選手らが引く先頭パックからあっという間に15秒以上の差が開いていく。
コースはパスポイントが限られ、ガレ場のアップダウンが連続するために自分のペースをつくり難く、スタートから半周の間に30秒もの差が開いてしまう厳しいスタートとなった。
2周目、この流れを止めるべく、縦になりはじめた15~20番手前後の大集団から抜け出そうと平野選手と沢田選手は積極的なプッシュを繰り返した。この周の後半には隊列が整い始め、中国、カザフスタン、イランの有力選手を間に入れた長い列車が続く。パンクも出始め、テクニカルフィードも騒がしくなってきた。
3周目、ようやく先頭の中国選手に追い付いた山本選手が前に出る。一方、スタートダッシュを決めたU23の平林選手が大きくペースダウン。平野・沢田選手は二人パックを形成して先頭を追う。しかし、流れの良くないコースで二人の波長を合わせてラップを上げて行くことは簡単ではなく、先頭との差を縮めることができない。
4周目、80%カットにより半数の選手がレースを降りて行く。平野選手には余裕すら見れるが、彼の得意とするペースアップ区間が少なく、逆にバイクを降りて押さなければならない滑る激坂で大きくペースを乱され、調子の良さとは裏腹にトータルラップが上がらない。沢田選手は全開プッシュするも平野選手からも遅れ始めてしまう。
5周目、中国選手が強烈にアタックし、山本選手が遅れていく光景に会場はざわついた。エリートの先頭ラップが速く、U23の日本代表は全員80%カットでレースを降ろされていく厳しい展開の中でも平野選手は諦めていなかった。前後の選手との間が空いていても集中してプッシュを繰り返し、前の選手とのタイム差を詰めて行く。一方、沢田選手はガマンの展開。高所のため後半になる程にラップが落ちていくが、集中を切らさず順位をキープしている。
6周目、ファイナルラップを走るエリート選手は僅か10名。U23はたったの2名しかいない。平野選手はひたすら前を追い続けて順位を上げようとするが、後輪を岩にヒットさせパンクしてしまった。順位を上げることは叶わず7位でフィニッシュ。沢田選手は全てを出し切り、最終完走の10位でフィニッシュした。

2019年のアジア選手権が終わった。チームとして今季最大目標のレースに勝つことができなかった。
日本から連日の応援、スポンサー・サプライヤーから多くの期待と支援を頂きながら、最高の結果を示すことができなかったことは真摯に受け止めなければいけない。
一方、チームは東京2020の舞台を目指すスタートに立ったことも事実。1分1秒無駄にすることなく、できることをひとつずつ、丁寧に積み上げて行くしかない。
そして、進化の激しいフルサスペンションバイクが主流となるレースシーンの中で、XR9が高い耐久性とレスポンスを見せ続け、チームライダーを支えてくれている。
TEAM BRIDGESTONE Cyclingはより強く。必ず。
応援をありがとうございました。



























2019年7月21日日曜日

O、Japan MTB National Championship

2019年JCF全日本マウンテンバイク選手権。
結果、平野選手が準優勝。沢田選手は4位。
チームは目標のワンツーを達成できなかった。

この日のためにどれだけの時間を費やしてきたろう。
この日のためにどれだけの犠牲を払ってきたろう。
この日のためにどれだけの人が応援してくれたろう。

素晴らしい選手たちと出会えたことに感謝します。
貴方たちとの貴重な時間はどれもが冒険。あの些細な思い出さえ、決して忘れることはないでしょう。

平野選手はこの日、日本中の誰よりも速く走っていた。中盤に更に上げたファストラップもまだ余裕をもっていた程。でも、3度の転倒により優勝することができなかった。
沢田選手はポディウム獲得に向けて最後まで粘った。アタックを何度も仕掛けて力を出し切ったが、ライバルとの差を埋めることができなかった。
日本一のチームであることは証明できた。でも勝つことはできなかった。これはチーム監督責任。
この素晴らしい選手たちをこれからも支えてください。
ありがとうございました。
これからアジア選手権(レバノン)に向かいます。リベンジを!




2019年7月11日木曜日

O、What is a National Champion

10日後の今、全日本マウンテンバイク選手権の会場でどんな気持ちでスタートを待っているのだろう。
一年に一度。たった90分間で日本一を決める大勝負。ここに挑戦する誰もが「1番」になるための全てを賭けてくる。ひとりの勝者を決めるためだけにあるのが全日本選手権。
1年間(365日)は525,600分ある。その僅か0.00017%のために、選手は生活の多くを犠牲にし、命を削りながらここに来る。スタッフも選手と同様だ。
フィジカルではなく魂と運命のぶつかり合い。レース中、自分に疑問を思った瞬間に負けを引き込んでしまう。フィニッシュラインを通過するまで諦めない者が勝利する。極めてシンプルで過酷な戦い。
思い出す。レースの世界に戻ってきてから何年経ったろう。
ジャパンシリーズも、年間個人総合も、U23チャンピオンも、シクロクロスチャンピオンもこの手で祝福してきた。全てのバイクと選手が我が家のガレージを経由してチャンピオンになっていった。薄暗いガレージで何時間話し、何杯のコーヒーを飲んだろう。
残されているのはマウンテンバイクのエリートにおける全日本選手権での勝利。自分にとって集大成となるリザルト。
自分は自転車業界で生活する人間ではない。この勝利が商売や自分の地位に結び付く人達とは異なる世界で生きている。そんな自分を、この巨大な挑戦を、TEAM BRIDGESTONEという最高のチームで迎えさせてもらえることに感謝と誇りを思う。
必ずや田沢湖の美しい景色を最高の歓喜で。
いつも粋良く。








2019年7月1日月曜日

O、Salcano Arnavutkoy UCI-C1XCO

1週間の一時帰国を経て、6月遠征の4大会目(7デイレース目)はトルコ・イスタンブールで行われたSalcano Arnavutkoy UCI-C1レース。
結果、平野選手が本調子に至らなかったものの9位入賞、沢田選手は中盤から苦しんでの12位となった。共に目指したポディウム獲得を果たせなかったが、UCIポイントを積み重ね、全日本選手権前のレースを完了した。
6月30日、この日は日本では全日本選手権ロード、CJ富士見パノラマ大会。チームは全日本選手権、アジア選手権での勝利を鑑みたとき、この海外遠征が唯一の選択であった。
このレースにおけるチームの目的は、単にUCIポイントを獲得するだけではない。ターゲットとなるライバルの走りや強さをリアルなレースで体現し、フルスペックした機材の最終テストを行うことにある。
思惑通り、ライバルは、昨年の世界選手権20番台、30番台のオーストリアの2選手を筆頭に、ウクライナ・カザフスタン・トルコ・イランは各国チャンピオンを要してナショナルチームが参戦。UCIポイント200点以上を所有する選手が12名もおり、アジア選手権で国外最大ライバルになるだろう3名も来ている。もちろん、目標とするリザルトはポディウム獲得。
コースは大きなピクニック公園に特設された4400m。過去2度とも当日の大雨でヘビーマッドとなり、レースキャンセル寸前の厳しい環境であったが、今回は3回目にして初めての晴れ。早朝の激しい雨も、強い日差しがそれをすぐに拭ってくれた。
一方、路面は陶器も作れそうなヘビーマッドをトラクターで荒らしたまま硬化した場所が多用され、バラ科のトゲがシーラントを噴出させ、割れたガラスも散乱している。決して難しいコースではないが、荒れた路面のトラクション、抜きどころの少なさ、パンクのリスクもあるレイアウトだ。
11時30分、4400m×7Lapのレースが30度近い気温の中で始まった。7月の大勝負で使用する機材もこのレースが最終実戦テストとなる。平野選手・沢田選手は共に2列目から順当にスタート。しかし、1分後にエリート女、5分後にジュニア男女がスタートしたため計4カテゴリーがコースイン。抜きどころが限られるレイアウトでは力量の違うカテゴリーの選手がシケインになってしまうことがあるため、終始注意が必要な状況となった。
1周目、決定的な先頭パックはできず、12名程の大集団が縦に伸び縮みしている。沢田選手は一時3位まで上がりながら6番手。平野選手は11番手。
2周目、ファーストラップよりもラップを上げ、このレースでワンツーとなるオーストリアの2選手が集団から抜け出してきた。それをカザフスタン・ウクライナ・トルコ・沢田選手・平野選手・イランらが追いかける展開。
3周目、先頭2選手がランデブーしながら3番手以下を引き離していく。追走する大きな集団はできず、更にタイム差がひらいていく。沢田選手はここでプッシュしたいところだが、いつもより苦しく思うように走れていない。8番手まで順位を下げた。平野選手は本調子からは遠いものの、呼吸は落ち着いていて、冷静に10番手に順位を上げてきた。
4周目、先頭2名の逃げが容認されかのように3番手以下の選手のラップが少しずつ落ちていく中、地元の大声援を受けたトルコチャンピオンが強烈にプッシュし3番手へ。平野選手は9番手まで上がり、前の選手との差を詰めて行く。一方、沢田選手は掛からない。身体の動きも固く11番手に順位を下げていく。しかも他カテゴリーの選手と混走となり、思うように走れない状態も重なる。
5周目、先頭パックのラップはイーブン。かなり速い。各国チーム2選手ずつが至近距離を保ちながら追走を試みたが、その差は少しずつ拡大していく。平野選手と沢田選手もパックで追走したいところだが、沢田選手が後方に下がっており、チームで追うことができない。
6周目、結果としてこのラップで順位が決定的となった。80%カットルールによりエリートの半分以上がコースアウトしたが、他カテゴリーの選手が除外されず、混走が続いた。平野選手はそれらの選手をパスするのに手こずりながらも諦めず前を追ったが、中々捕まえることができない。沢田選手は更に順位を下げて12番手。
7周目、ピクニックに来ていた多くの家族連れがコース脇に集まってきた。近隣の子供たちもMTB(トルコはMTBが主流)に乗りながら声援を送ってくれる中、平野選手は9位、沢田選手は12位でフィニッシュ。
悔しいが、今回もポディウム獲得を果たすことができなかった。厳しいレースになることは想定していたが、まだ課題が残されていることを真摯に受け止めるべき結果であった。反面、その課題が明確だからこそ、日本一、アジア一に向けて更に火が付いた。チームは最大目標のレースに勝つための毎日をこれからも積み重ね、最高のフィニッシュをするまで決して諦めない。1分1秒、1㎝、1㎜を無駄にしない覚悟がある。

日本から、相変わらずの多くの応援をいただき、ありがとうございました。
スポインサー、サプライヤー、ファン、家族の強力な支援に感謝します。
TEAM BRIDGESTONE Cyclingは勝利を目指して更に強くなります。